能登ブルーベリーの土づくり
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能登ブルーベリーの土づくり

35年前の植栽

今から35年前、この地旧柳田村に初めてブルーベリーの木が植えられました。駒寄農場では山を切り開きブルーベリー園を作りましたが、ほとんどの農家さんは田んぼを埋めて苗木を植えました。減反政策で米に変わる作物として栽培が始まったからです。
田んぼに畝を作り、植え付けしました。初めは順調に育っているように思えましたが、3年から5年が経過し、果実が実る頃になるとだんだんと枯れていく樹が増えていきました。その原因は土でした。
能登の土は本来粘土質で水はけの悪い赤土です。ブルーベリーは水はけの良い土を好みますから、土質としては日本で一番条件の良くない土だと大学の先生に言われました。
さらに、田んぼに植えているのですから、水はけが悪いことも当然です。
農家は期待して植えたブルーベリーが枯れていく様子を見て、困惑していました。

モデル農場

旧柳田村では、ブルーベリー栽培を始めるにあたり「モデル農場」という名前の栽培技術を研究する機関を設置しました。ここが中心となり、農家に栽培指導を行います。
モデル農場初代農場長の田原義昭氏は、だんだん枯れていくブルーベリーを見ながら何か対策はないだろうかと日々探求していました。しかし、なかなか簡単には対策が見つかりませんでした。
一方でブルーベリー農家の数はどんどん増えていきます。五十里地区では地域で多くの人がブルーベリーに転作し、夢を託しました。

アメリカで発見

昭和63年、モデル農場長の田原氏はアメリカへブルーベリーの視察研修に行きました。アメリカでは広大な農地にたくさんのブルーベリーが植えられ、順調に栽培がおこなわれていました。
農場を見学する際に、説明は当然英語です。田原氏は英語はほとんど理解できないので、説明は聞かずに農場をあちらこちら見てまわっていました。すると農場の片隅に山のように積まれているものを発見しました。「何だろう?」と近づいてみるとそれは木材の皮(チップ)でした。その時に田原氏は「これだ!!」とひらめいたのです。
「このチップを利用すれば、水はけの悪さを解決できるのではないだろうか!」

チップマルチ農法

アメリカから帰国した田原氏はさっそくチップを利用した栽培方法を試してみました。何回も試行錯誤を繰り返し、確立されたのがチップマルチ農法と呼ばれる栽培方法です。今では、日本全国各地で利用されています。
ブルーベリーを植え付けする前に針葉樹のチップを畑一面に70センチに盛り上げて
敷きます。それをブルドーザー等で転圧して50センチくらいにならして、そこにブルーベリーの苗木を植え付けます。チップは自然に分解され有機物が豊富な土壌になります。チップですから、当然水はけも良くなり、能登のブルーベリーは大きく成長することができるようになりました。
田原氏がアメリカに研修に行った時にもし、英語が理解できていたら、このチップマルチ農法は生まれていなかったかもしれません。土壌によってブルーベリーの味は大きく違ってきます。能登にブルーベリーを定着させ、今では100戸以上の農家が栽培するという土台を作り上げた田原氏はその後も剪定技術や収穫時に完熟果を見極める技術など技術指導を継続的におこなっています。

Berry Smile
berrysmile_k@yahoo.co.jp
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